学ぶ喜び

「学びて時に之を習う、またよろこばしからずや」
『論語』にある、私の好きな一節です。「学んで、適切な時に復習して身に付ける。なんと喜ばしいことではないか。」といった意味です。

私が高校生で初めてこの一節を読んだ時は、「授業の復習のどこが喜ばしいんだよ…」と思ったことを覚えています。「学び」も「習う(復習)」も、とても狭く解釈してしまったのです。
そうではなくて、昔教わったことが、時を経て「あぁ、先生が(親が、先輩が、本が)言っていたのはこういうことだったのか!」と腑に落ちる、身に付くという喜びのことを言っているのだと思います。
今回調べ直したところ、この一節はなんと『論語』の冒頭にあるのです。(そういうことだったのか!)
つまり、古代中国の大先生である孔子が、いの一番に弟子達に伝えたかったメッセージだったのですね。

学ぶことは喜びなのです。
一生懸命考えても分からなかったことが、あるとき「分かった!」とひらめく。できなかったことができるようになる。快感です。
もし今、勉強が分からなくても、大丈夫。喜びの種が沢山あるのだと思ってください。
今の勉強に飽き足らない人も、大丈夫。「学び」はどこまでも広く、深い。終わりのないゲームのようなものです。

冒頭の一節はその後、「とも有り、遠方より来たる、また楽しからずや」と続きます。
とも」とは、共に学んだ友達という意味です。
こま塾で学んだ皆さんが、やがてそれぞれの場所で活躍し、再会して語り合う。そんな未来を夢見ています。
共に、学んでいきましょう。

令和4年4月 開塾にあたって 玄間 博己

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